お茶漬の味

小津安二郎の「お茶漬の味」を見た。見たというよりは、スマホを眺めながらダラダラ流し見していただけなのだが。メインキャラクターの夫婦がいるわけだけれど、地味で穏やかな夫と派手で奔放な妻というような組み合わせである。妻は夫に尽くさなければいけないなどとは全く思わないが、海外出張に行くときの見送りくらい来てもらいたいもんだなあと自分なら思いそうである。寂しいだろうなあと思う。しかし、この夫は別に構わないような感じで、これからは夫に黙って遠出したりしないと悔い改めてみせる妻の前でも「いいんだよ」「君らしくていい」みたいなことを言っている。関心が薄い、というか独立している、というか、そういう感じなのだろうか。お茶漬を食べる夫に対して妻がそんな食べ方は嫌いだからやめて下さいと怒る場面では、夫は自分の嗜好をはっきりと主張するのである。夫からはどこか「あなたはあなた、私は私」というような冷ややかさを感じなくもない。妻も同様で、だから夫を置いて一人で遊びまわったりもしているのかもしれない。そんなバラバラな二人が、夜遅くの静かな台所で一緒にこそこそと夜食を探し、ちゃぶ台を囲んでお茶漬をさらさらいく、というところが、まあいいのだろうなあ。ぬかみそのにおいがするわ、とかいって妻が夫に手のにおいをかがせるところとか、いいよねえ。

いや、そんなことが書きたかったのではなくて、まあ、この妻がかつて交際していた女性を思い出させるのである。私はこの夫のようにはなれなくて、彼女を少しでも自分の思い通りにしたくて、もだえ苦しんでいた。この夫のようにある種の無関心さ、そして、その裏面である優しさを持てればよかったのだろうが、おぼれていた。そいうことを思い出させる映画だった。

しかし、妻はお茶漬が嫌いではなかったのだろうか、なぜ最後のシーンではおとなしくお茶漬を食べているのか、そういう和合の在り方ということなのだろうか。夫は絶対にお茶漬を食べるんだという雰囲気だったが、結局、妻が夫の包容力に包まれなびくということだったのだろうか。

6月9日

暑い。部屋の温度計が30℃を超えると、体から熱が逃げていかなくなるような気がする。扇風機を回す。昼も夜も冷凍食品のから揚げをレンチンして食べた。楽でいい。まあまあ美味しい。暑いのだけれども、熱いコーヒーを飲む。

 

友達から誕生日プレゼントとして松本大洋の『ZERO』(上・下)をもらった。彼女のお気に入りの漫画らしい。好きな漫画をもらえるというのは、嬉しいものだ。その人の内面を少しだけでも見せてくれているような……。まあ、ただ間違えて2セット買ってしまって余っていただけだったようだが。

強すぎて孤独で、寂しがりの子どものままで、リングの外で生きていけない(それもまた子どものような)五島。なんというか、そういうステレオタイプに収まらない面、たとえばプール付きの豪邸で花を育てていたり、おしゃれしてビリヤードしていたり、なんだか様々な側面を持っているところが面白い。跡継ぎを残そうとしているようで、そうではなくて、むしろ自分を種にしてしまおうとしているのか。そして、本当に狂っているのはトレーナーのおじさんのような気もする。五島はゲイなのかなと思わせる感じも良い。

 

谷崎潤一郎

ちくま日本文学全集谷崎潤一郎の巻を図書館で借りて読んだ。

こういう、一冊に短~中編がいくつかおさまっている本が好きだ。私は本を読むのがそんなに得意ではないので、一冊を読むというのは大仕事なのだ。一冊でいくつもの小説を楽しめるこういう本はいい。

さて、この本自体にこれといって感想は実はあんまりない。面白かったなあというぼんやりとした思いだけがある。

ただ、奈良にあまりいい思い出がなく、できれば触れることすら避けたいので、なかなかその点が困難ではあったが。それでも「吉野葛」はとても面白かった。どう面白かったのか、実はもう忘れてしまった。なんなのだろう。でも、私の読書はいつでもそういうものだ。

「刺青」もよかった。妙な生々しさ、執念の想い。

「秘密」もよかった。秘密が秘密でなくなったときに急に訪れる陳腐。

「母を恋うる記」はあんまり集中できず、ダラダラ読んでしまった。

「友田と松永の話」は好みではないちょっとしたサスペンス風味。

吉野葛」。うーむ。

春琴抄」。夢中で読んだ。文体とリズム。内容にも引き込まれる。自分が佐助だったら、春琴に同じようにのめりこんで全て捧げてしまうだろうという気がした。